「広島駅に、昔の写真を見つけたよ!」
お友達からの連絡に「?????」
ちょうど帰り道に広島駅を通るというラッキーに、駅をさまよってみました。
そして目に飛び込んできたのは、たくさんの人が行き交う駅の構内に大きく掲げられた戦後の写真。
原爆ドームのふもとに立ち並ぶ軒先に、それはありました。
「胃腸科 呼吸器科 梶山内科」の看板が!
なぜだか分からないけど、ゾクゾクと胸が震え、道行く人のいぶかしがる顔を横目に、しばしその写真の前で立ち尽くしてしまいました。
撮影日は1957年8月6日。
原爆が投下されてから12年後の爆心地付近です。
梶山内科の初代院長(現在の院長の祖父)が開業した当時です。
思った以上に活気に溢れた街並みに少し驚くとともに、内科・外科・眼科など医療機関の看板がやたらと目を引きます。
たくさんの傷ついた人たちに寄り添い、治療を行った歴史が、その看板たちから伝わってきて、なぜかその重みに一人感動してしまいました。
「被爆者健康手帳」(通称、原爆手帳)は、被爆地ならではの悲しい歴史の証明です。
被爆75年の今も、その手帳を携え、診察に訪れる人がまだまだいらっしゃいます。
そしてこの写真の横にはこんなメッセージが添えられています。
地球温暖化をはじめとする気候変動、頻発する自然災害、そして猛威をふるう未知のウィルスとの戦い…
私たちの前には次々と大きな壁が立ちはだかります。
でも私たちは知っています。
どんなに打ちのめされようとも、前を向き一歩を踏み出せば道は開けることを。
暗闇の中でも、誰かと一緒なら歩き出す勇気が湧いてくることを。
広島被爆75年目の今、もう一度、ヒロシマを振り返ろう。
自分の力を信じるために。
そこに今を生きるためのヒントがあるはずだから。
「75年は草木も生えぬ」と言われた広島。
奇しくもその75年目の今年、私たちはコロナウィルスという未曽有の戦いを強いられています。
これは偶然なのかなぁ?
少なくとも、広島の街は真っ暗闇から立ち上がったプライドがあるんだ!という歴史に、私はものすごく震えたのかもしれません。
例年にない、静かな広島の8月が過ぎてゆきました…
確かに、ここに何かヒントがあるのかもしれない。
その歴史に思いを馳せ、決意新たに9月が始まりました。
この9月から、梶山内科は新たなスタートを切りました。
このコロナ禍において、患者様の院内での滞在時間を少しでも短縮できるよう、お薬の院内処方を院外処方へと移行しました。
患者様には、ご不便をおかけしてしまうこともあるかと思いますが、より安心安全に服薬していただくための決断だと、ご理解いただけましたら幸いでございます。
ご通院中の患者様へは、最寄りの薬局までのご案内やお付き添いなども行っております。
お一人での薬のお受け取りや、歩行が難しい方、どうぞお気軽にお声がけくださいませ。